
消えない落書き
通学路の途中、古びたアパートの壁に、ある日突然、奇妙な落書きが現れた。
それは赤いチョークで描かれた子どもの顔。にやけた口元と、異様に大きな黒い瞳。妙にリアルなのに、どこか不自然な違和感があった。目が、見ている。通り過ぎるたび、睨まれているような錯覚に陥る。
最初に気づいたのは、クラスの佐伯だった。
「なあ、あれ見た? なんか気味悪いよな」
「誰かのイタズラでしょ。放っておけばそのうち消えるよ」
そう言ったのは僕だった。けれど次の日、その落書きは消えるどころか、変化していた。
顔の横に、チョークで文字が書き加えられていた。
「まだ、見つかっていないよね?」
意味がわからなかった。けれど、その日から、学校に妙な噂が広がり始めた。
旧校舎で誰かの泣き声が聞こえたとか、使われていない美術準備室の扉の向こうに人影を見たとか。誰もがどこか不安そうにしていた。
三日後、落書きはまた変わっていた。
顔が少し下を向き、口が笑っていない。瞳が、泣いていた。文字も変わっていた。
「ここに、いるよ」
佐伯が急に学校を休み始めたのは、その翌日だった。
連絡もなく、電話も繋がらない。先生たちは騒ぎ始め、警察も動いた。けれど、家には鍵がかかったままで、中に誰もいなかったという。
僕は思い出していた。佐伯が以前、旧校舎の裏で拾ったという小さなノートのことを。
「これ、変なんだよ。誰かの絵日記みたいなんだけど……最後のページ、赤いチョークで塗りつぶされてんの」
そう言って笑っていた佐伯。あれは、落書きと関係があるんじゃないか。そう思い、僕は放課後、一人で旧校舎へ向かった。
薄暗い廊下を抜け、美術準備室の前に立つ。ドアノブに手をかけると、意外にも鍵は開いていた。中に入ると、かすかにチョークの匂いが漂った。
壁の一面に、赤い落書きが広がっていた。
子どもの顔。たくさんの顔。どれもが泣いていた。
その中心に、佐伯の顔があった。静かに、こちらを見つめていた。壁に書かれた言葉は、ひとつだけだった。
「つぎは、きみ」
背後から、足音が聞こえた。
振り返ると、誰もいなかった。
逃げるように教室を飛び出し、あのアパートの壁を見に行った。落書きは、消えていた。
次の日、僕は学校を休んだ。
理由は言えなかった。
夜、部屋の壁に、赤いチョークで描かれた顔を見つけるまでは。
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